2002ワールドチャンピオンシップを振り返って

2002/10/02

text/ H. Yoshida

 

 7月5日から14日までオーストラリアのパースで開催された男子ラクロス世界選手権に、日本代表のゴーリーとして参加しました。
 この大会は4年毎に開催される大会です。今大会は8回目の開催で、世界16の国と地域からの参加で開催されました。ラクロスをされている方々はご存知だと思いますが、ラクロスというスポーツは、300年以上も前に、アメリカの先住民によって戦闘訓練を目的として考案されました(諸説ありますが)。サッカー場とほぼ同規模のグランドで行われ、各チーム10人の選手がクロス(棒状のものの先に網のついたスティック)と呼ばれる道具を使って、テニスボール大の球をゴールに押し込む点取りゲームです。昨年、本場アメリカでは、プロリーグ(MLL)が発足するなど、ここ近年急速に発展を遂げているスポーツです。日本におけるラクロスの歴史は浅く、まだ15年です。世界大会出場も94年のイギリスマンチェスター大会が初出場で、今回で3度目の出場となります。
 私は、大学の入学と同時にラクロスを始め、いつしか日本代表を目指し、日々トレーニングを重ねてきました。98年にはボルチモア大会に出場し、セーブ率、失点率ランキング1位の成績を収めることができました。今大会の試合方式は、ブルーディビジョン、レッドディビジョン、グリーンディビジョンとそれぞれのレベルに分かれており、リーグ戦方式で試合を行い、それぞれの戦績に応じて、入替え戦(プレーオフ)を行い、その後に順位決定戦が行われます。日本は、レッドディビジョンでの出場であり、日本代表の目標はブルーディビジョン昇格、5位入賞でした。


 開幕戦、先発出場。君が代が場内に流れた時、世界選手権のピッチの上に立っている事を実感しました。立上り緊張からか連続で3失点。しかし、その後は落ち着きを取り戻し、14ー4と快勝しました。順調な滑り出しでした。

 2戦目はドイツ戦。前回大会では敗れている相手。自分の出場はなかったのですがチームは順調に勝利しまた。

 4戦目のスコットランド戦はレッドディビジョン最大の山場の試合でした。スコットランドにも98年に1敗を喫しており、決して油断は出来ない相手でした。試合の方も、厳しい試合でした。相手のミドルシュートの精度が高く、8失点を喫してしまったが、味方のオフェンスの方も、しっかりと得点を重ね、厳しい試合をものにする事が出来ました。

 第6戦目からは、プレイオフ。1部リーグの4位のイラコイネーションズ(アメリカの先住民ネイティブアメリカンで、ラクロス発祥の民族)と2部リーグトップで通過した、我々日本代表の一戦。私たちは、この2年間この試合に照準を合わせて、厳しいトレーニングを行ってきました。非常に厳しい戦いでしたが4クオーターには同点に追いつき、自分たちの力がブルーディビジョンでも通用する事を証明しました。結局はオーバータイムで敗れはしましたが、日本ラクロスの力を世界に証明でき、素晴らしい試合をする事が出来たと思っています。イラコイに敗れて、もう後がなくなった日本代表。次の2試合に勝たなければ、目標が達成できない状況に追い込まれました。

 

 

 

 

 

 

 

vs.イラコイネーションズ

 第7戦目のドイツ戦。3クオーター終了時点で2点ビハインド。非常に追いつめられた状況でした。しかし、今回の日本代表はここからが強かった。4クオーターを0点におさえ、3点を奪い逆転勝利しました。厳しい試合をものにする事が出来ました。
 最終イングランド戦。代表23名全員が集中をしていました。不思議と負ける気がしませんでした。戦況は、最終クオーター残り3分の時点で3点ビハイン ド。普通の状況では、逆転の可能性はほぼ厳しい状況でした。でも、誰1人として、諦めませんでした。残り3分で2点差の10ー12。残り2分で11ー12 の1点差。残り30秒でとうとう同点に追いつきました。オーバータイムになると自力に優るイングランドが有利なので、ここでタイムアウトを取り、このク オーターで決着をつけようと、もう一度集中し直しました。そして残り16秒で奇跡のゴール。とうとう逆転しました。残り16秒、フェイスオフを奪われ最後 シュートを打たれたが、枠外でゲームセット。遂に日本代表念願のブルーディビジョン昇格の目標を果たす事が出来ました。本当に最後の試合は奇跡としか言い ようがありません。己を信じて、仲間を信じて戦った結果が、このような結果になったと思います。私自身、10年間ラクロスを、常に自問自答しながらプレー をしていました。

 “何の為に…”でもその答えが、イングランド戦で見つかりました。全ての雑念が消え、この1瞬のために頑張ってプレーを続けてきたのだと感じました。今 回のワールドチャンピオンシップの成績で、以前より日本のラクロスのハードルがさらに高くなりました。このハードルをクリアするために、自分の出来る事を 考え実行し、微力ながら日本のラクロス界の発展の為に寄与していきたいと思っています。

 

●吉田秀一
1998年,2002年ラクロスワールドチャンピオンシップ日本代表